tictacjintonicのブログ

万人に読まれる可能性のある個人的なメモだと認識しています

タイトルホルダー ('22.6/28)

 今でも思い出す、2020年の東スポ2歳杯(東京スポーツ杯2歳ステークス)の馬券。3番人気だったジュンブルースカイと6番人気だったタイトルホルダーのワイド馬券だ。このレース以来タイトルホルダーを応援しているが、この馬には何度も驚かされている。

まずはこの東スポ杯でダノンザキッドに離されたものの6番人気からの2着。そして皐月賞のトライアルレースである弥生賞でダノンザキッドを下し勝利。皐月賞では8番人気ながら2着。ダービーと菊花賞の前哨戦セントライト記念では振るわなかったが、本番菊花賞ではまさかの逃げ切り勝ち。年末の有馬記念では同期の皐月賞馬エフフォーリア、凱旋門賞から帰国したディープボンドやクロノジェネシスなどに及ばず5着。

年が明けて日経賞から始動したが、菊花賞で圧巻の走りを見せたタイトルホルダーは調整不安のなか勝ち、ステイヤーの最高峰レースである天皇賞・春に向かった。1番人気は凱旋門賞にも出走したディープボンド。クラシックで長距離への適性を示したタイトルホルダーは、長距離レースの超実力者ディープボンドにどこまで通用するのか、そういった意味合いのレースだったように思う。しかし、蓋を開けてみれば1秒の差をつけての圧勝だった。これでタイトルホルダーは、古馬含む現役競走馬の中で長距離最強の称号を手にした。

しかし、先週日曜日に開催された宝塚記念は話が違った。それまでのタイトルホルダーからすると2つの懸念材料があったからだ。1つは距離が短くなることで、スピードについていけないのではないかということである。2つ目は、逃げ・先行馬に富むメンバーだったので、これまで逃げでしか勝ち星を挙げていないタイトルホルダーは本来の実力を出し切れるのかという点である。好メンバーが揃ったということもあり、オッズは割れに割れた。ファン投票でオグリキャップの記録を塗り替えたはずのタイトルホルダーは、エフフォーリアに1番人気を譲ることになった。

レースは抜群にスタートの良かったタイトルホルダーが出ていったが、やはり高速でラップを刻むもう一頭の逃げ馬がハナに立った。少し離れてタイトルホルダーが単騎で続き、そのすぐ後ろ外側にディープボンドがつけ、タイトルホルダーについていく形になった。最終コーナーを回ってくるとき、すぐ後ろにつけていたディープボンドに有利な展開かと一瞬思った。タイトルホルダーはすでに前で逃げていた馬を捉えて先頭に立っていたが、前目につけた馬が最後の直線で中団以降の馬群に飲まれてしまうのはよくあることだ。しかしタイトルホルダーは後ろから来る馬を寄せ付けず、そのまま押し切ってゴールした。僕は中継を見ながら叫んだ。なぜか自然に涙が目に溜まった。

その理由を考えていた。理由の一つには、2歳の時から応援している馬が何度も前評判を覆して、その中でも最も厳しかっただろう宝塚記念を優勝したことがあるだろう。しかしそれだけではなく、弱点を克服する姿にも感銘を受けたのだった。逃げなければ、長距離でなければ勝てないと言われていたのに、そのどちらも克服した。そしてそれは、一瞬の切れ味がすべてになりつつある近代競馬を破壊し得る存在の証明だったように思う。

長距離だろうと、脚を溜めて最後の直線で勝負に出れば勝ち負けできるといったような、ステイヤーの価値が貶められる競馬がずっと続いていた。しかしそれは同時に展開に左右される、相手に左右される側面が強いともいえる。しかしタイトルホルダーは、どの相手でも自分でペースを作る、ペースメイカーが別にいても自分のリズムで走る。そして現役ナンバーワンのスタミナで真っ向勝負に持ち込み、そして勝つ姿は、何度同じレースをしても、それでも勝つという想像ができる。

近年の競馬は、馬場や展開に左右されることが多い。それはもちろん要素の一つであるが、強い馬でも勝てなかったレースの後には、あれこれと言い訳が出てくるものだ。あの馬がこう動いてくれれば、馬場がこうだったら、つまり本来の実力が出せていれば勝てただろうといった類のものである。しかしタイトルホルダーに言い訳はない。常に出せる全てを出し切る、自分の持ち味を生かす、そして勝つ姿にはすがすがしさを感じる。

正直、私的には末脚勝負の競馬が隆盛するのはあまり好きではない。それはそれとして、別のスタイルの競馬や競走馬があっていいはずだと思っているし、そうでないと飽きてしまうと考えている。しかし進歩してきた結果いま在る競馬を壊すのは簡単なことではない。タイトルホルダーは、それを壊す理想の競馬をした。スピードに対応し、スタミナを使い、弱点を克服し、そして現代の競馬を破壊した。その姿に僕は感動したのだった。

この馬は、「名は体を表す」という言葉がよく用いられるが、その名の通り称号を重ねてきた。菊花賞を勝ち、春の天皇賞を勝ち、現役最強のスタミナという称号を得た。そして宝塚記念に勝ったことで、現役最強の競走馬の称号を得ただけでなく、どんな相手でもすべてを出して勝つ、運や要素に左右されない、現代競馬の破壊者という称号も得たのである。

名がつけられたということは、その名が未来を決定することでもある。僕は彼が凱旋門賞を初めて勝った日本馬という称号を手にすることを確信している。

スティルインラブ ('22.05/22)

 長い間、携帯の待ち受け画面を初期設定のままにしていた。これには些細な理由があって、待ち受け画面に適する画像データを探すのに難儀してしまうからだ。自分の気に入った画像をあの独特なアスペクト比にうまく合致させることがなんとも難しく、これではいけない、だめだと納得できず、結局デフォルトの壁紙のまま使い続けていた。

 しかし先日、壁紙を新しく設定した。4月上旬のことだった。その4月とは、僕にとって非常に困難な月だった。3月に内定取り消しのサインをしていたので、”本来ならば”4月1日から働き始めるはずだったが、実際は相変わらず無気力に日々を過ごすだけだった。正直、当時はエヌシーケーのCMを観たり名前を聞いたりするのも苦痛だった。

 それでも当時僕が新たに選んだ待ち受け画像は中央競馬の競走馬だった。名前はスティルインラブ

 2003年に三歳牝馬クラシックを制した彼女は、その後一度も勝ち星を挙げることなく引退した。三歳時には名牝エアグルーヴの仔アドマイヤグルーヴと何度も激突し、その都度人気を覆してクラシック三冠を手にした。

 彼女は当時まだ若手だった幸英昭騎手に栄光の牝馬クラシック三冠をプレゼントしたが、本来の最終戦であるエリザベス女王杯(※1)では辛くも好敵手アドマイヤグルーヴに届かなかった。その幸騎手が2021年11月に初めてエリザベス女王杯を優勝した。競走馬の名前はアカイイト。かつて牝馬三冠を取りながら、エリザベス女王杯という忘れ物をしたスティルインラブアカイイトによって幸騎手はその忘れ物と結ばれることができた。

 今になって思うと、スティルインラブの写真を待ち受けにしたのは、いかにも過去に囚われた昭和のオヤジのような意図が自分の中に見える。それでも当時は何かを変えたかった、自分の意思をあてなく表明したかったのだと思う。そして今でもその思いは多少なりともある。

まだ愛している、それはいつか赤い糸で結ばれるのだろうか。

競馬の話から

 今日は母の日らしいが、これまで特に母の日に母をねぎらうということをしてこなかった。ヒネているので、わざわざ用意されたものには乗らないということにしている。それは逆説的に考えるならば、普段から母に感謝していればこんな日でもいつもどおりの感謝を伝えればいいのではないだろうか。なんて屁理屈をこねて自分を正当化するのが悪い癖だ。

 それとは別に、5月8日という日は私にとって特別な日になった。というのも、競馬で大勝ちしたからだ。今日はNHKマイルカップという最もグレードの高い競走の一つかつ、その名の通りNHKが主催のためNHKで競馬を放映する数少ないレースが行われた。あまり軍資金がなかったので私は3番人気と4番人気の馬だけで買おうと決めていた。2頭の馬の単勝馬連馬単、ワイドで勝負だった。結果、もう一頭の単勝だけ外したが残りは全て的中することができた。どちらかが1着に来れば回収できる買い方だったのでそこまで大当たりではなかったが、買った馬券が見事に的中したのはとても嬉しかった。

 競馬も終わり、興奮冷めやらぬままウマ娘や過去の競馬を観たりしていた。ウマ娘についてはまた別の機会に綴りたいと思う。その中でキングヘイローの鞍上福永祐一騎手が初めて東京優駿に挑戦したこと、ワグネリアンで初めて勝利したことに改めて感動していた。まさかダービーを連覇したり、ここ最近のようにG1やクラシックを勝つようになるとは、キングヘイローに乗っていた頃からは想像もできないように思う。福永祐一騎手がその時の映像を自分で観て振り返るという動画がyoutubeにあるが、何がだめだったのか細かく分析しているのは流石だと思うし、だからこそ今の彼に繋がっているのだと思う。

 しかし、福永祐一騎手以上に私が好きなのはその父である福永洋一元騎手である。氏は"天才"と称された騎手であり、エピソードを語り始めたら枚挙に暇がない。ここで一つだけ挙げたいのは、1977年の皐月賞を勝ったハードバージの騎乗である。非常に古いレースだがyoutubeに動画が上がっているのでぜひ観てもらいたいレースである。最終コーナーを大外で回り、直線で内に入るが馬群に進路を阻まれ、たかと思われたが気がつくとさらに内に切り込み、差し切り勝利するというシーンは言葉を失う。このレースの鞍上が福永洋一氏である。

 最終コーナーを回って進路に困り内に行く、そこで前がふさがっていればどうしようもなく、ブレーキを踏むしかできないというのが常である。しかし氏は、下手をすれば他馬の走行を大きく妨害してしまう斜行とも言われかねない、尋常ならぬ横軸移動で内ラチいっぱいまでハードバージを寄せるとそこから僅かな進路を見出し前進し勝利をもぎ取ったのである。ここで補足しておきたいのは、皐月賞が開催される中山競馬場というコースの性質上、最後の直線は非常に短く、進路を変えているうちにゴール版を過ぎてしまわないように、氏は一切の減速をしていないことである。競走馬はおおまかに60km/hで疾走し、それを操る騎手の目線を考えるとその恐怖心はベテランであっても相当のものであろう。しかし氏はそのスピードを維持したまま密集した馬群の間をすり抜けほんの小さな進路を見出し、迷わずその道を進出したのである。言葉を失うとは、この時のためにあると言っても過言ではないと思うほど衝撃を受けたレースだった。こればかりは経験だとか鍛錬だとかそういう次元を超えていると感じた。そこにあるのは天才がもつセンスと、勝つためにはほんの小さな可能性でも挑戦し、その小さな可能性を成功に引き寄せる、ある種の狂気があるように思われた。

 福永洋一氏の後にも天才と呼ばれる騎手はいる。例えば、日本中央競馬会からは追放されてしまっている元騎手の田原成貴氏や、このところめっきり気合の減ってしまっている武豊氏などもそうである。しかし、この皐月賞ハードバージを操った福永洋一氏の騎乗の前には、いかなる偉大な騎手も"天才"という称号を諦めずにはいられないのではないだろうか。武豊騎手、川田将雅騎手、クリストフ・ルメール騎手、氏の息子の福永祐一騎手など「上手い」「強い」騎手は現在に至るまで更新され続けているが、こと"天才"に関しては福永洋一氏以来それを超える存在は出てきていないように私は考える。そして非常に残念なことに氏は落馬事故により後遺症を負い、騎手を引退してしまった。

 リハビリを懸命に続け、発声や移動も限定的ではあるが可能になり、息子の福永祐一騎手の働きかけもあり、故郷の高知にある高知競馬で福永洋一記念というレースも毎年開催されるようになった。そのレース後にはトークショーがあるのだが、かなりの頻度でダービー制覇の話題があった。というのも、数多くの重賞やG1を制した福永洋一氏だったが、引退するまで日本ダービーを勝つことはなかったのである。その悲願を息子の祐一騎手が達成するのを長い間待ち望まれていたが、1998年にデビュー2年目ながら3番人気のキングヘイロー号で初挑戦するも、それ以降2017年にワグネリアン号で同レースを制するまで叶わぬ夢であった。

 その後、2020年と2021年をコントレイル号とシャフリヤール号でダービー連覇を達成するなど、福永洋一騎手の活躍はそれ以前よりもさらに大きくなり、思うに天才である父の悲願を成し得たことが、心に刺さっていた錆びついた釘が抜けるのに結びついたのではないか。偉大な父が活躍した世界に入り、誰からも"福永洋一の息子"として見られ、恩恵はあるが重圧もある中で成果を出していったが一番欲しいダービージョッキーの称号だけは手に入らない。そのうちに同じ2世ジョッキーの武豊騎手は1998年のスペシャルウィーク号をはじめ何度もダービーをそしてG1レースの勝利を築いていくのに食らいついていくだけで精いっぱいで、そうしていると今度は優れた後輩からの突き上げにも遭う。意識下でも無意識化でも多くの重圧や苦悩があったのではないだろうかと推察する。

 非常に悲しいことに、福永祐一騎手にダービー初勝利をプレゼントしたワグネリアン号は年始に亡くなってしまった。彼がもう一度大舞台で勝利するレースを観たかったが、とても残念である。じつはそのワグネリアン号の母父にあたるブロードアピールという元競走馬が…なんて終わりがなくなってしまうので、いったんここまでにしたいと思う。

 

人は死を目の前にして何を視るのか

 夏が終わってから親類が3人亡くなった。いずれも高齢でなにかしらの持病があったそうだが、こうもタイミングが重なるのも考えものだ。冬になると高齢者は亡くなりやすいのかと思ったが、そんなことはないらしい。ただ、寒くなって日が短くなると気持ちが落ちやすくなるのは人間の性質なのではないだろうか。

 人は死を目の前にして何を視るのだろうか。古代から死や死に方については議論されてきた。当然それは今日になっても解決していない議題である。一般的によく言われるのは、「悔いのない人生を過ごしたか」という点だろう。これはある程度真実だと感じることができる。もう死ぬこと以外のことはほとんどできないのだから、過去を振り返ってそれを個人の主観で正当化や意味づけをするしかない、ということは言えるだろう。

 先日、「月があまりにも綺麗だったので」という短編を書き始めた。これは単独で交通事故を起こした学生が警察官と死について議論するという内容なのだが、これは私の実体験から着想を得ている。ある夜、私が一人で運転をしていると、とてもきれいな月をフロントウィンドウから見ることができた。しかし雲がかかりそうで、またもちろん運転中なので、すぐに前を向いて運転に集中した。ただ、本当にきれいに見える月だったので、私はとても後悔した。もうあの月は見れない。危険だとか規範とか社会とかそういったものに囚われて人生に悔いを残すことがとても虚しく思えた。だから、仮に悔いのない様に月を注視し続けていたら、それを稚拙ながら文章に著してみようと思い立ったのである。

 結局、人間は社会規範の下で行動せざるを得ない。そのルールの上に立つことが出来なければ、サイコパスだとか異常者だとかいったレッテルを張られて過ごすほかない。ただ、時にはそういった考慮を無視しなければ、人生を振り返ったときに後悔なんて微塵もない、なんてことはできないだろう。たまに聞く話だが、亡くなった祖父の遺品を整理していたら愛人との手紙が出てきたとか、祖母が初恋の人と会っていただとか、そんなことがあるそうだ。それをいったい誰が非難できるのだろうか。母であり祖母であり妻であることはいずれも社会を生きるうえでのロールである。ただ個人として考えたときには女性であり一人の人間である、その自由をいったい誰がとがめられるのであろうか。さらに言うのなら、それによって特に誰も迷惑を被っていないのであるなら、子どもも、孫も、そして夫も咎めることはできないのではないか。

 生と比較したときに、死は個人的なものである。この世に生を受けた以上、親やそれに相当する人物によって保護を受けなければ生きていくことはできない。ただ死に関しては、大小の差あれど必ずしもそういった他者へ負担をかけることはない。生まれたことに関しては極論で親を非難することはできる。ただ死ぬことに関しては身分の上下や資産の大小にかかわらず万人に平等に訪れるものである。死は必ず経験するものであり、それは多くの場合、本人に物事の分別がついてから受け入れるものである。

 このように考えたときに、人間は普段は社会的な動物であると言えるが、完全に平等な死について考える時、ある程度本能的な動物にならざるを得ないのではないだろうか。

 そして、仮に人間が死を目の前に、その人生を振り返って後悔の有無を確認するのであれば、社会的な生活、規範的な行動、そういった”生きるうえで必要な力”というものの意味は相対的に小さくなると言えるのではないだろうか。そうだと考えるならば、我々が普段生きている社会や、通念上のルールといったものは我々が考える以上に意味のないものなのではないかと考えることも可能である。ただ、既に述べたようにそれを生きている間に行うことは非常に厳しいものがある。同時に、死とはいつ訪れるのかわからないものでもある。多くの情報を受けるようになり、また発信するようになり、物理的距離が大きく縮まる今日において、改めて”生きるとは・死ぬとは何なのか”について考える必要があるのではないかと感じ、また提唱していきたい。

 

本日の標語:メメントモリ・トシオモリ

魂のバックグラウンド 1

これは就活の自己分析のみならず、自己を見つめ直すという目的に即して記すものである。

私は次男として生まれ落ちたことは私の人格形成に大きく影響している。3つ上の兄は一言でいうと優秀である。一つ先二つ先を行く兄を追って私の人生は構築されてきたと言っても過言ではない。ガキ大将とまでは言わないが、カリスマ性があり常に中心に立っていた兄に常に憧れ、二番煎じをしてきたのが私である。そして好奇心旺盛でなんにでも取り組む兄を見て間接的な体験から学んできたともいえる。兄が中学生の時に学校に携帯ゲーム機を持ち込んだときは、いかにして見つからないように工夫するかを学んだし、偶然それが見つかって叱られたときには、悪いことはいずれ人に見つかると学んだ。

兄が優秀であることで必然的に私自身もその道を歩むようになった。今でも覚えているのだが、小学校時代に兄とその友人たちと遊んでいるときがあったが、そのあと同級生たちといる時間がひどく退屈に感じられたことがあった。私にとって兄が主導する遊びは創造性にあふれ革新的であり、今更3年下の同級生たちとはそりが合わなかったのである。ちなみにそのせいか同じような境遇の同級生たちとよく遊ぶようになった。しかし、私は兄がいるからそのように感じたと考えていたが、その兄が凡庸であるときには私のようなケースにならないということを学んだ。今思うと、私は年齢関係なく尊敬できる人間でなければ話を聞かないという性質はここからきているのだろう。

私は高校選びも同様に兄を追ったものだった。当時は日本の学校に行きたくないという適当な理由だったが、なら他の学校を精査するべきだったし、そもそもその理由すら明確な根拠はなかった。ともかく、兄と同じ学校に、それも一年間は重なって通えることが第一の理由だった。結果的にはその高校で学んだことは誤った選択ではなかったが、そのくらい適当な理由で、兄の存在が大きく選んだのだった。そこでも、初めは違ったが結局同じ部活に参加するようになり、小学校時代と同じように兄の友達にかわいがってもらったりしたのだった。

ただ、兄が先に卒業してからはそういうわけにもいかなかった。定期的に連絡は取っていたが、帰国してもバイトや大学で忙しい兄に対し、私はともかく暇でしょうがなかった。のちに同じバイト先で働くことになるのだが、それもまた濃い話なのでまた後で。その間私は一つ上の先輩を師と仰ぐことになるのだがそれもまた今度。いずれにせよ、大学に入るまでにそれまでの兄の存在感は私にとって薄れていた。

性懲りもなく兄と同じ大学に入学するのだが、学部は違った。先に述べたように私は兄を見て経験値とするが、まさしくそのケースとなった。兄は第一志望の学部には進学できず、興味のない必修に圧迫されて留年を重ねていた。そこで私は、自分の学びたい学部に行かなければ就活と改善に卒業が危ぶまれる、特に私のような興味のない分野にはまったく労力を割けない人間にとっては、そう感じた。加えて、高校時代にはカリキュラムで納得のいかない部分が多分にあったこともあり、とにかく自分の好きなことを学びたい!さらには、就活とか世間体とかのために自らを偽ってまで大学の4年間を過ごしたくない!という強烈な欲を感じたため、文学部に進学した。結果それは私自身を人生で初めて学問に熱意を沸かせることとなり、成功といえる。また、実家が大学と近いというアドバンテージがあるのだが、それに気を抜いたことも兄の留年に作用したと考え、毎日1限の授業を入れることで高校時代のように自動的に起きなければいけない時間を定めて出席率90%以上を保った。

現在、兄は依然一つ上の学年であるが、それを恥と思ったこともないし、それ以前に高校で罰を受けたこともそれがどうしたと考えている。守るべきルールやシステムはこの世にあるが、それから外れたことがその人格否定や社会不適合だという烙印にまでつながるのはおかしいのではないかと考えている。これは別に身内をひいきした結果ではないが、きっかけはそこにあった。ルールとは何のためにあるのか、社会とはなんなのか、そんな問題提起のきっかけになったのはまさしく兄の存在があったからだと思う。

先に「以前ほど兄のことは尊敬していない」といった趣旨のことは書いたが、それは私の自立や身内への中立性という意味ではプラスの意味を持つ。変わらず兄のことは尊敬している。話も合うし相変わらず独創性に富む、気の利く兄は誇るべき存在だが、私同様に思考が深くなった結果虚無感に襲われることもあるのだと思う。私はそれを割り切る術を、兄のいない高校生活で得たが、恐らく兄は幼少のころから習慣付いているそれに辟易しているのだと思う。兄として、できる人間として、家族や学校そして社会から期待されることに、もううんざりしているのではないだろうか。仮にそうだとして、私はそれを批判するつもりはない。ただ、同じように社会はそれを受け入れがたいのだ。現代の複雑化した社会は病理を持っていると考えるが、それは拒絶したくともそれと関わらずに生きていくことは不可能に近いし、かといってその中に生きることも閉塞感を招くのでは、どこに行ったらいいものかわからなくなるだろう。思うに、社会に出て精神を患う原因はそこにあるのではないだろうか。

社会という言葉を用いたせいで整理がつかなくなってきたので、兄の話に戻って締めたいと思う。

夫婦というのは他人同士が結ばれた関係であり、紙切れ一つでまた他人になり得る。しかし血縁にある兄弟は、それをやめたくても、何かしらの書類手続きを踏んだとしても、物理的に同じ血が流れている以上分離する方法はない。私はたまたま人として尊敬できる兄を持ったので、その背中を見て学んできたし、学問領域から離れたとしてもそう簡単に関係は変わらないだろう。そして同様に兄も、私という弟がいたからこそ今までの人格形成がなされているのであり、私という存在から学んだこともあるのだろう。私は、行動というより慎重派だし、人見知りではないが広い交友関係を持つわけでもなく、気が利く方でもなく、他人や組織をリードするような人間でもない。それは全て兄という存在があったからこその私である。逆に物事を慎重に判断し、持つ交友関係は深く大事にし、心を許せる間柄であり、組織をサポートする人間である。私を語るうえで兄を抜きにすることはできない。そして皮肉なことに恐らく兄の困難の原因である社会との関係のように相互作用関係を私と兄も持っているのである。

いつもどおり殴り書きのメモのように綴ったが、自分史を分析する手法を数回に分けて行おうと思う。

スーモ君はマリモのような見た目だが、きれいな水にしか住まないマリモと違い我々はウサギ小屋に住んでいる。

大統領選終了につけて

大統領選挙がもうじき終わる。

何があるのかわからない、これまでに類を見ない大統領選挙がもうじきその最終的な結果を現す。

先日の議会に暴徒が乱入する映像をNHKスペシャル映像の世紀風に編集した動画がtwitterにて話題を集めたが、後世の歴史に名を残す時代であることは間違いないと思う。

今日ここに残した私の記憶は、これに関して感じた二つの事である。

一つは私の個人的な見解としてのトランプ氏支持である。これは以前にも当ブログにて触れたことがあるように思われるが、私はバイデン氏とトランプ氏どちらを支持しているかというと、トランプ氏である。彼は行き過ぎたグローバリズムと人情主義に異議を唱えたという点で評価すべきであると考えるが、それが意図したものかそうではないかは別として、過激な発言が目立ちそこに批判が生まれることは否定しない。また、彼が当選した当時よく批判されたのは彼が全くの私人であり、米国史で初めて一切政府に関した職歴のない人間が大統領になったという点に関して、私としてはそれは是として受け取るべきだと考える。政治は全国民の重要な問題であり、民主主義に則れば官僚や政治家しか国のリーダーになってはいけないということは言えないと考える。いずれにせよ、この大統領選に関して不正が行われたという疑惑は起こるべくして起きたということは間違いなく言えるだろうし、また選挙の不正を確認する手続きを、例えば選挙管理委員会を疑うというリスクを避けるため、もしくはトランプ氏を支持しない州行政の管理者たちが拒否したことは何人にも否定できない。これは歴史にも当時を生きる我々にも真偽を明らかにすることはできないのかもしれない。But I thought he has made America great again undoubtedly. 特に前政権では米国の弱体とリベラリズムが進んだことを考えると"正しい"方向付けをしたことはここに断言したい。

もう一つは、やや陰謀論的な話なのでもはや記述に注意することなく書いていく。前述のtwitterで話題になった動画の説明に「超大国の崩壊」のようなことが書かれていた。キーワードは分裂と秩序、上位存在である。コロナによる分裂と混乱と崩壊は米国にも共通している。そして国境間の人間の移動の規制はEUを上回る国家間組織つまり世界政府(このワードを使うと一気に陰謀論臭くなるのは面白い)の影が見え隠れする。そして世界情勢の主張たるアメリカの崩壊がここに現れることで、余計にその上位存在の必要性が高まるのではないだろうか。いずれにせよ、国連やWHOという国家間組織への疑念が高まり、頭一つ抜けたリーダーたる国は先進民主主義国家にはいない。具体的にいつまでの話など言えないがここに断言したいのは、近い将来、朝鮮半島の南北統一より困難だと考えられる全国家を超越した政府組織が誕生するということである。

なんにせよ、私たちが激動の時代に生きていることは間違いない。物事の表象に囚われずその本質に目を向けて生きて行きたいものである。「括目せよ」ということである。

BBoyに関する私なりの言説

 久しぶりに記事を読み返したら、BBoyに関するものがあった。私なりに感じたことは、今私が考えていることとそんなに変わりなかったようだ。

 しかし、「アツい」について説明していなかったことに気が付いた。そしてたまたま最近それについて考えていたのでここに述べようと思う。

 先に結論を述べる。「アツい」とは「ギャップ」「意外性」に収斂される。

 いわゆる音ハメも意外性の中に含まれる。ただ音にあっているというだけならアツくはないが、予想できない、かつてない音ハメにオーディエンスは湧く。またアクロバットやパワームーブも同じように、ただそれだけではアツくないが、一般的なアクロバットから(例えば高さやつなぎ、難易度)から超越した時にオーディエンスは驚きと興奮を覚える。パワームーブも同様であるが、飽きの成分をもっている。なぜならアクロバットに対して使われる頻度が圧倒的に高く、個々人に生成されるパワームーブの予想の範囲が広いからである。生半可なパワームーブは変哲のないトップロックと変わりなくなってしまう。

 順番が逆になってしまったが、「ギャップ」について述べる。これはBBoyだけに限らないことだが、折角なので述べる。

 BBoyがshowcaseでよくやる、大の字から膝立ちになる動きが最も一般的でわかりやすいと思われた。大きく、次に小さく。逆も然りである。BBoy Pocketがよくやるfast-slow-fastのハローは、速度の緩急が生み出す効果の説明に適している。スピードが生む緩急はそれだけで錯覚となりムーブがはっきりと確認できなくなり、その未確認感にオーディエンスは湧くのだ。最後に位置のギャップである。前から後ろに、右から左に、下から上に、大きく動けば動くほど視覚効果で驚きが生まれる。これについては補足として、ただ単に動くのではなく体の動く方向と動きが一致しない3次元的な動きが先ほど述べた未確認感と共に驚きを生むのだと付け加えておく。

 ここに二つ「アツい」の要素を述べたが、その両方ともオーディエンスに対する驚きの提供であることがわかる。ここからわかることは、その驚きを提供する為に静なる部分の必要である。一見では意味の分からない動きを際立たせるために、高いジャンプを効果的に見せるために、普通の動き、上下のない動きが必要になってくる。

 つまり「普通と派手」もしくは「静と動」の枠組みの中に先に述べた「ギャップ」と「意外性」が含まれることになる。前提として、驚きを提供するためにはギャップや意外性だけでは不十分であり、それを演出するための素人目には意味のないようなトップロックやフットワークは驚きを演出するに不可欠で動と同じだけ重要な存在なのである。

 総論として、「アツい」とは「ギャップ」と「意外性」の生み出す驚きであり、それらは「静と動」のハーモニーによって生み出される。普通の動きも、派手な動きも同列に重要な存在である。ということを述べておく。

 

 以前も記事に書いた気がするが、Battle of the Year 2005のIchigeki Crewのshowcaseは最もアツいショーケースだと思うのでぜひ観てみてほしい。下に貼っておく。

 

 「気分いい日にこの曲 と言ってかけるトムヨーク」

 

https://www.youtube.com/watch?v=pjp-qkDuSqk