tictacjintonicのブログ

万人に読まれる可能性のある個人的なメモだと認識しています

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信号とは

 

 日本人が理解できていないことだと思うが、信号はあくまで目安である。歩行者が道を渡らないのは、通行する車に轢かれるのを避けるためであって、決して信号が赤だからではない。信号が赤でも車が通っていなければ渡ればいいし、信号が青い時でも車が突っ込んでくるかもしれない。

 自分が奇妙に思うことは、日本人はやたらと時間短縮を気にするくせに、車が一切通っていない信号でも待っていることがある。その時間は気にならないのだろうか?つまり日本人にとって信号とはサインなのであって、また法(事実そうであるが)でもある。これは絶対的なシグナルで決して犯してはいけない、という認識を持っているのではないだろうか?そして少しでもそのルールを破るものは犯罪者である。というのだろうが、それはシンプルに思考停止を導いているとしか思えない。機械が出したサインだを正しい、信じるというのはいささか問題だと思う。

 今でも覚えている、昔読んだ手塚治虫の「火の鳥」の中にあった話だ。地表が核戦争で荒廃し、地底に住む未来人たちは行政を人工知能に任せていたが、あるときその人工知能が他の都市と喧嘩になって核戦争を起こそうと決議した。結果数少なく地底に残っていた人類はただ一人を残して全員死滅したという話である。日本人のみならず、人間は逃げ道や保険を付けたがる。交差点で轢かれたとき、「こっちの信号は青だったから自分は悪くない。向こうが悪い」ということにできる。「自分は機械の指示に従っただけだ。悪い決断だとしても自分には責任はない」といったぐあいである。本当にしょうもない。自己判断、自己責任という言葉はもはや原形を失い、本質を理解するものはこの数年でほぼ絶滅するだろう。

 自分もそうだったが、小さいころ親には「信号が赤い時は渡っちゃいけない」と教えられた。親として子供の身を心配する以上しょうがないことかもしれないが、それは世代を超えて思考停止という呪いを継承しているように感じられる。

 突飛するが、これが発展すると国からサインが出たから戦場に赴くとか、党の幹部に指令を受けたから身内に探りを入れ告発するというふうになるのではないだろうか?まずやめるべき認識は、○○は絶対に正しい、ということである。人間は必ず欠点を持つ。機械だとしても、だ。作っているのは人間だし、人間の事情は人間にしかわからない。

 話をまとめられないので終わらせます。「蓄膿商店街役員会役員」